“謝りすぎる日本人”が、世界で最も誤解されているワケ

富士山を背景に五重塔が立つ日本の風景。静寂と誇りが共存する、日本の象徴的な光景。

海外で暮らす日本人が、よく驚かれることの一つ。
それは――「日本人って、どうしてそんなにすぐ謝るの?」という問い。

たとえば、レストランで注文を間違えられたとき。
日本人は思わず「すみません」と言ってしまう。
相手が悪くなくても、空気をやわらげようと自然に口から出てしまう。

この“Sorry”文化は、世界では少し不思議に映るようです。

「Sorry」は“罪の告白”ではない

英語の “Sorry” は、基本的に「自分の過ちを認める」意味合いが強い言葉。
つまり、相手に対して「自分が悪かった」と責任を認めるサインになります。

一方、日本語の「すみません」は、
謝罪だけでなく「感謝」や「気遣い」の意味も含まれています。

たとえば――
「忙しいところ、すみません」
「ありがとうございます、助かりました」

この2つ、どちらも“すみません”で成り立つ。
日本語では「相手の立場を尊重し、場を円くするための言葉」として使われているのです。

“空気を守るため”の言葉

日本では、人との間にある“空気”を大切にする文化があります。
その空気を乱さないように、少しでも相手の負担を減らすように、
とっさに出てくるのが「すみません」。

この言葉には、
「相手の立場に寄り添う」
「場をやわらげる」
「気まずさを和らげる」
そんな優しさが隠れています。

つまり日本人は、謝っているのではなく、思いやっている
その違いを理解すると、“謝りすぎ”という見方が少し変わります。

海外では「謝る=負け」になることも

海外では、ビジネスシーンで謝罪を多用すると、
「自信がない」「責任を取る意思がある」と受け取られることがあります。

だからこそ、“Sorry”を言いすぎないようにと指導される人も多い。
けれどそれは、「日本人のように思いやりで謝る」という文化がないだけ。

どちらが正しい・間違っているという話ではなく、
言葉が生まれた背景が違うだけなのです。

“謝る文化”は、“気づく文化”でもある

「すみません」と言える人は、相手の小さな変化に気づける人。
たとえば、誰かが少し困っていることに気づいたとき、
「ごめんね」「ありがとう」「すみません」――
その一言で場の空気がやわらかくなる。

海外では “Thank you” がコミュニケーションの軸。
日本では “すみません” がその役割を担っています。

謝るというより、“感情を整えるための言葉”。
そこに、日本語の奥ゆかしさと美しさがあるのです。

おわりに:謝ることは、優しさを伝える方法

「日本人は謝りすぎ」と言われるけれど、
それは“相手を思いやる心が自然に出る”ということ。

言葉の裏には、静かなやさしさが流れています。

だから、謝るたびに自分を責めなくていい。
その「すみません」は、ちゃんと誰かを救っているのです。

文:Zawats 編集部(世界と日本の発見担当)

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この記事を書いた人

「Zawats — 心ざわめく瞬間を、ことばに」編集部。
世界と日本の“ちがい”や、40代からの生き方、
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