通勤電車の中、スーツ姿の人がうとうとと目を閉じる。
リュックを抱えた学生、イヤホンをつけたまま眠る会社員。
そんな光景を、私たちは毎日のように見ています。
でも、海外から日本に来た人たちは、口をそろえて驚きます。
「みんな、よくこんなに安心して寝られるね!」と。
実は、この“電車で寝る文化”には、
日本社会の深層にある「信頼」と「疲労」の構造が隠れているのです。
🚋 外国人が驚く「電車で寝る人の多さ」
アメリカやヨーロッパでは、公共の場で眠ることは珍しく、
「警戒心が低い」「危険」「だらしない」と捉えられることもあります。
一方で日本では、朝でも夜でも、座席で静かに眠る人が当たり前。
しかも、降りる駅でふっと目を覚ます人も多い。
この光景に外国人が感じるのは、
「人を信頼している社会」への驚きです。
「バッグを盗まれないの?」「誰も起こさないの?」
そんな問いの裏にあるのは、
“他者への信頼”という、見えない文化の違いです。
🏙️ 「安全」と「疲労」と「信頼」の三層構造
日本で人が電車の中で眠れるのは、まず治安の良さが大前提。
世界的に見ても、公共交通機関での犯罪率は非常に低く、
「寝ても大丈夫」という安心感があります。
次にあるのは、慢性的な疲労社会。
長時間労働、通勤時間、情報過多の毎日。
心も体もいつも少しだけ疲れていて、
わずかな移動時間でも「眠ること」が、回復の手段になっている。
そして最後にあるのが、人と人との“無言の信頼”。
隣に知らない人が座っても、互いに干渉しない。
他人の眠りを守るように、静けさが保たれている。
この三つが重なって、日本独特の「居眠り文化」が生まれました。
😌 “居眠り”が許される社会
日本では、仕事中や会議中にうとうとしても、
「一生懸命働いている証拠」として笑って許されることがあります。
欧米では「プロ意識が低い」と見なされる場面でも、
日本では「疲れるまで頑張った」という文脈で理解される。
この“眠りに寛容な社会”は、
同時に“他人の弱さに寛容な社会”でもあるのかもしれません。


💤 “眠れる社会”は、まだ優しい社会
海外では「人前で眠る=警戒心がない」と言われます。
でも日本では、「眠れる=安心できる社会」という裏返しでもある。
誰もが自分の荷物を膝に乗せて眠り、
隣の人はそれをそっと見守る。
そんな光景には、言葉にしない優しさが流れています。
人が人を完全に信じられなくなったら、
きっと、もう電車で眠ることもできなくなるでしょう。
だからこそ、
「眠れる社会」は、まだどこかに“思いやり”が残っている社会。
車内の静かな寝息のリズムは、
この国の信頼のリズムなのかもしれません。
文:Zawats 編集部(世界と日本の発見担当)
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